昨夜、というか今日9月10日NY時間午前12時に日本の叔母から電話があり、佐渡の叔父御が亡くなった知らせを聞いた。叔父御は一昨年から肝臓癌を患っていた。みんな多少覚悟はしていたのだが、最近元気に出歩いていたので、その矢先、急のことだった。春に日本へ帰国した際、電話で話した。その時も声はしっかりして明るかった。 叔父御は私の名づけ親だった。がっちりした体型で、柔道をやっていた。大きい大会に何度か出場したこともあるようだ。私が学生の頃、一家で奥さんの地元である佐渡ヶ島に引っ越して、接骨鍼灸院を開業した。ものすごく実家思いで、祖父母が亡くなってからも、ちょくちょく実家に新米や山海の珍味を送っていた。私が帰国する時は必ず「あいつに食わしてやってくれ」と、美味しい魚介類を宅急便で送ってくれた。豪快で気前がよく酒好きで、友達が多かった。 私の叔父御の思い出は見事に楽しいものばかり、枚挙に暇がない。日本に初めてパンダが来た時、パンダのぬいぐるみを真っ先に贈ってもらったこと。あんな早くパンダ・グッズを手に入れた子はまわりにいなかった。 それから結婚式。まだ小学校2年生だった私にも、一人前の席を設けてくれた。新郎新婦が退場する時、扇子で頭をポンと叩かれてふり向くと、しょうもないほど照れ笑いしている叔父御の顔があった。披露宴で、真っ赤な顔をしてみんなに陽気に酒を注いで回っていた紋付袴のおじさんは誰だったのだろう? でも、なんと言っても最高なのは、夏の佐渡だった。私たち姉妹と従妹たちを乗せたにぎやかな車は蒼暗い夜明けに出発し、天空真ん中に太陽が来る頃、潮と熱したオイルの匂いが混じった新潟の港についた。一番小さい従妹は高速船に乗りたいとグズって泣いたのを、その後何年も話の種にされた。陸が見えなくなった船の甲板で、波間から跳ね上がるトビウオを見つけて騒いだ。 達者の海は驚くほど水が澄み、力強い波が打ち寄せていた。泳ぎの上手い叔父御は悠々沖の方まで泳いで行き、かえって来ると、さざえやとこぶしを砂に並べた。私たち子供は魔法でも見せられように歓声を上げたものだった。 天の川をはじめて見たのも佐渡だった。萱葺き屋根、花火に浮かぶ庭の鳳仙花、翡翠色をした渓流の魚釣り、黒光りする王様クワガタ、遊覧船で覗いた縞模様の魚の群れ、瑠璃をはったような空に伸びる尾根を走った金山、港のみやげもの屋で買ったのろま人形... 子供時代の夏は、その後何度も人生に巡ってくる。ギリシャで見たミルキー・ウェイも、カリブの海の輝く波濤も、私がその中いた佐渡の風景に重なり、同じ至福感を呼び起こした。 叔父御を思い出すと、いたずら好きのワハワハ笑っていた顔ばかりが浮かぶ。哀しみ悔やむ言葉より、私が言いたいのはただ一つ、たくさんの幸福な思い出をありがとう!あなたが私の叔父御で、本当によかったよ! あれらの風景に出会う度、あれらの夏を語る度、私は言うだろう。 「昔、叔父御が連れて行ってくれたんだよ」 そして、どこかで懐かしい誰かの、満天の星がさざめくように笑うのが、きっと私にはわかるだろう。 |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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ご無沙汰していました。 |
Masu 2012/09/11 16:09 |
MASUちゃん、どうもありがとう。 |
カラビ 2012/09/12 00:24 |
叔父様のご冥福を心よりお祈りいたします。 |
真奈 2012/09/12 10:22 |
真奈さん、ありがとう御座います。 |
カラビ 2012/09/12 10:55 |
空は、つながっている。と思いました。 |
にしゆみ 2012/09/24 01:43 |
にしゆみさん、ありがとう御座います。 |
カラビ 2012/09/24 10:44 |
なんかご無沙汰だったので、まとめて読んでますが、こんなところに埋もれていてはもったいないとつくづく思う名文ですな。叔父さんもきっと読んでますよ、このブログ。 |
どらく 2013/02/11 09:50 |
どらくさん、コメントありがとう御座います。 |
カラビ 2013/02/11 10:54 |
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