伽羅創記

アクセスカウンタ

zoom RSS 八月十五日に思ふ

<<   作成日時 : 2013/08/15 12:12   >>

トラックバック 0 / コメント 2

画像

  毎年、八月十五日になると思い出してこの写真を見る。出撃を待つ特攻隊の青年達だ。まだ二十歳になるかならないかだろう。子犬を抱いて笑っている。あと数時間で永の別れになるというのに、みんなどうしてこんなに澄んだ表情をしているのだろうと、いつも目頭が熱くなる。でもそれは決して憐れみではない。一人の人間が、その時持ちうる知力、精神力のすべて尽くして決意したことへの敬意と、抗えぬ時代の中、命とひきかえに彼らが伝えようとした想いへの哀しさだ。

 特攻は犬死だった、麻薬を打って興奮状態で出撃していた、みんなイデオロギーに騙されていた、云々、それらのもの言いはどれひとつ、この青年達の表情に相応しない。私に見えるのは、自分の生を守るべきもののために捧げ完結するという気持ち、それだけだ。

「日本人の道徳感の根底は美感であります。
(中略)日本人に『罪悪』の問題を識別する抽象化の能力が欠けていることはたしかであり、それが調和を愛する感覚的美感によって助長されていることもまた疑いの余地のないところですが、さればといって、これを土台にしないかぎり、私たちは動きがとれないのです」−福田恒存

 つまり日本人の判断基準は、法的に正しいとか正しくないとかよりも、美しいかそうでないかだというのだ。もっとくだけた言い方にすれば、気持ちにしっくりくるか、しっくりこないか、ということだろう。
「美しく散る」ということは、現代の私達には考えられないぐらい当時の日本人に浸透していた美学だったのだと思う。鬼畜米英等のスローガンはあったが、特攻隊の兵士たちの最後の手紙や辞世の歌には、憎悪や恨みの感情などまるで見られず、潔く散る花に自分を重ねたものばかりである。

(参照) http://www.tokkotai.or.jp/shinjyo/utsukushiku_chirutoiu.html

 
 兵士の数だけ心中様々な思いがあったにちがいない。醜悪な状況もあったにちがいない。しかし彼らが国を守り散る花となることを選んだのであれば、その決意は澄んだ哀しい美しさとなって、ずっと私の心にとどまっている。
 
 黙祷します。物語を遺してくれたすべての死者たちへ。   平成二十五年 八月十五日








テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
〜つまり日本人の判断基準は、法的に正しいとか正しくないとかよりも、美しいかそうでないかだというのだ。もっとくだけた言い方にすれば、気持ちにしっくりくるか、しっくりこないか、ということだろう。〜

ああ〜カーラビンカさん、その通りです。
これ。そうなの。言葉にしてもらった・・・今、代弁してもらったような、すがすがしい気持ちです。
私事ですけど・・・引越しが決まってから、ずっと気持ちがゾワゾワしていて落ち着きません。人間関係にすっかり疲れてます。私は自分の気持ちを的確に日本語でも英語でも人に話すのが苦手だから、こんなふうに簡潔に表現された文章を読むとすっきりします。 いつもドキドキしながら読んでます。気持ちが楽になりました。ありがとう・・・
にしゆみ
2013/08/19 22:40
にしゆみさん
引越しは大変ですよね。荷造りもストレスだし、私は新しい場所に移った最初の1週間ぐらい心細く不安定になるのがパターンです。無理しないペースでやって下さいね。

>日本人の美感
落語のネタにもある「三方一両損」などは、裁判官の大岡越前が自分の財布から一両出して一件落着する噺で、これは法的には越権行為もいいところですが、だからと言って私たち日本人は大岡裁きがよくないとはならず、気持ち的にしっくりくる話、美談として語り継がれるわけです。

 かくすれば かくなるものと知りながら 
        やむにやまれぬ 大和魂 (吉田松陰)
I knew fully that it would end so if I acted thus, but I am compelled by yamato-damashii.

「毛唐にゃわかるめぇ」と言いたくなる時あります...
カラビ
2013/08/20 01:14

コメントする help

ニックネーム
本 文
八月十五日に思ふ 伽羅創記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる