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zoom RSS 佐渡 −晩夏夢語り 2

<<   作成日時 : 2016/08/27 02:27   >>

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  百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも
     なほあまりある 昔なりけり


【現代語訳】 宮中の古びた軒に茂った忍ぶ草を見るにつけ
         偲んでも偲びきれないのは、懐かしさばかりの古きよき時代のことだ。

 百人一首の最後の歌は、順徳天皇の作である。承久の乱で鎌倉幕府に敗れ、父である後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳天皇は佐渡へ流された。この歌は、まだ天皇の座に在った時のものといわれているが、あたかも京の都から遠く荒海を隔てた島へ追放される身の上を予見しているかのようだ。
 佐渡へは順徳天皇の他に、大納言日野資朝(すけとも)、日蓮聖人、世阿弥など、貴人や知識人芸術家の第一級面々が流されている。それにともなって京都の風習が持ち込まれ、佐渡弁には京ことばの訛り、能楽や人形浄瑠璃、京風様式の神社仏閣など、風雅な名残りが今も島のあちこちに散在している。


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 真野の妙宣寺は、日野資朝の菩提を弔っている。ここには江戸時代に建てられた珍しい五重塔がある。よせてはかえす波のように重なる蝉の声が、精巧な木彫に縁どられた五つの軒を廻(もとお)っていた。















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 新穂歴史民俗資料館で、のろま人形上演会があった。佐渡は人形芝居の歴史も豊かだ。大きく分けると説教人形、のろま人形、文弥人形がある。
 この日の上演は、末廣座による「生地蔵」だった。佐渡の人形劇はグロテスク(鬼)とユーモラス(人)が素朴に融合し、その実、極めて完成された対比が潜在しており、土着のコスモロジーとでもいうべき世界をつくり出している。







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 のろま人形芝居を今に伝える末廣座のみなさん。 滅多に観ることのできない貴重な機会に恵まれ、本当にラッキーでした


















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 世阿弥が島流しになっていた歴史もあり、佐渡では夏になるといろいろなところで薪を焚いた野外の能が催される。今回、私が絶対に行きたかったのは、この薪能(たきぎのう)だった。二宮(にきゅう)神社で薪能があると聞きつけ、喜び勇んで出かけた。
 二宮神社は、順徳天皇の第二皇女忠子女王を祀っている。行くと、まずはじめに忠子女王の墓にお参りして下さいと言われた。拝殿の裏手にある墓の入り口には、墓前に供する花が置かれていた。父順徳天皇の配流の地、佐渡で生まれた忠子女王は、十八歳で亡くなったと伝えられている。この夜、大勢の人が集まり能が催されるのを、京の都を見ることなく短い生涯を終えた皇女は、静かに喜んでいる感じがした。


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 6時半に火入れ式。かわいらしい巫女さんが、舞台脇の薪に火をつけた。












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 仕舞が終わり、宵闇に蝉が鳴声をひそめた頃、いよいよ能「鵺」のはじまりである。前シテのうつほ舟に乗った怪しげな男が橋懸り(舞台への廊下)に現れた時、その幽玄な佇まいに私は息をのんだ。和えかに昏い着物の色調、うつむいた蒼い顔、まさに、うつし世の形姿(なりかたち)に身をやつした鵺の亡魂がそこにいた!


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 前シテが去り、異形の鵺(後シテ)が登場する。日本は怨霊文化の国だった。滅ぼされたものが主役となる世界に、私たちの先祖は畏怖をもって言い知れぬ美となぐさめを見い出した。あの世とこの世のあわいが消え、死者と私たちは同じ空際に立つものとなる。その邂逅を可能ならしめる力を最も秘めているであろう薪能に、私は完全に圧倒されていた。日本人でよかったのぅ...



画像 薪火が消え、ふたたび静寂につつまれた二宮神社を後にする時、私はある一連の符牒を思った。4年前、隠岐へ行った時に考えていたことが、なんとなくつながってきている予感がした。隠岐は順徳天皇の父、後鳥羽上皇が没した地だった。
 帰り道、星がさんざめく空に、うっすらと天の川が見えたように思う。暗い木々のどこか、夜の鳥が澄んだ声で一つ鳴く。参道に置かれた蝋燭が一斉に焔(ほむら)をあげた。佐渡は鬼神のいる島なのだ。











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