伽羅創記

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<<   作成日時 : 2017/03/27 23:09   >>

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  およそ、吉田健一ほど洒脱な随筆を書く人もいないだろう。父吉田茂の転勤にともなって、少年時代にヨーロッパの各地で過ごし、英語仏語に堪能で、一方、漢文や日本の古典は誰よりも造詣が深い。教養とはなにかと云うなら、吉田健一が日常で体現していたものがそれだ。

 氏が私の生まれた町を訪問したことがあったことは、あるところで読んで知っていた。なんでも、講演を頼まれて、東京から足を運んだようだ。「昔の江戸の雰囲気が残る町」とさらり誉めていた。多分、訪問はそれ切りだったろうと思っていたら、最近、「汽車旅の酒」という紀行随筆集の中で、何年かしてまた行ってみたくなったので行った「或る田舎町の魅力」として書いていた。時は昭和30年代半ばである。

 「何もない町を前から探していた、というよりも、もしそんな場所があったらばと思っていて見付かったのが、八高線の児玉だった」
 「何もない上に、何かそこまで旅に誘ってくれるものがなければならないので、昔は秩父街道筋の宿場で栄えた児玉の、どこか豊かで落ち着いている上に、別にこれと言った名所旧跡がない為ののんびりしたい心地にそれがある」

  
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 吉田氏が泊まった旅館は、今も当時の建物のまま残っている。宿の看板はかかっているが、通りかかるといつもうす暗くひっそりとしているので、営業しているのかどうかもわからなかった。行って、氏が泊まった部屋を見せてもらえないものか尋ねると、女将さんが、あいにく泊り客がいるので、来月、空いている日ならゆっくり案内できると云った。(へぇ〜、泊り客がいるんだ!?)

 






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 吉田健一が残した一筆のコピーをいただいた。
「喜雀入堂」、調べたら喜雀とはカササギのことで、吉事来たり、という意味らしい。旅館に泊まっている時に、カササギを見かけでもしたのだろうか。イラストは誰が描いたものだろう、洒落者吉田健一の特徴がよく表わされている。
 三島由紀夫、中村光夫の筆もある。一緒に泊まりに来たという。三島と仲たがいする前のことだな。







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 「三階の眺めのいい部屋に通され、それで又、児玉という町の懐かしさが戻って来た。百年はたっただろうと思われる銀杏の大木が目と鼻の先に聳え、見降ろす家並みのどの屋根も上質の瓦で葺いてあるのは、つまり、昔の東京もこういう町だったのである」

 あの大銀杏はもうとうに切ってしまったと、女将さんは云った。





 
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 隣に残る古い蔵。吉田氏も見たにちがいない。













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 「廊下と反対側の窓からは秩父山脈ではないかと思われるものが見えた。下を覗くと、家に挟まれた広い横丁で、誰も通らなかった。広い場所に人間が少なくて、始めて文化と呼ぶに足るものが生まれる。それはどうでもいいとして、こういう児玉のような町に来ると、やっと時計がカチカチ言うのが気にならなくなって、つまり、一人でゆっくり酒も飲める」













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  「児玉の町は静かでも、一向に寂れているという感じはしない」
 
 それは、60年近く前に吉田健一がこの町で感じた息吹だった。自身が馴染んだ戦前の東京の風景(何ら特別のものはない市井)を見て、懐かしんでいた。この随筆が書かれた時にあったという3軒の映画館は、私が生まれる前になくなっている。それでも、子供時分の駅前通りは、夜遅くまで店の灯りがともっていたのを憶えている。パチンコ屋のビルも無人となって久しく、今日の夕暮れには歩く人もいなかった。「或る田舎町」は、静かなまま寂れたところになった。だが住む者はいつの時代もなんだかんだと適応し、それぞれ生活している。吉田健一の見た町と私の知っていた町も、多かれ少なかれ違っていたろう。私が郷愁を感じるとしたら、時間が経ち多分に純化されたある種の「文学趣味」の域のことだとは自覚している。


 三月二十七日 吉田健一 誕生日に



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先日の寒さが嘘のように、久しぶりに暖かい一日でした。
満開の桜を愛でる日も近いですね!

私が吉田健一の名前を知ったのは、「生きて愛するために」(辻邦生著:中公文庫)
というエッセイ集でした。彼の著作は気になっていたのですが、未だに読んでいませんね。

カーラビンカさんの故郷と、吉田健一との関わりを興味深く拝見しました。
機会があれば、「汽車旅の酒」という紀行随筆集を読んでみたいと思います。

児玉町の写真を見て、母の実家(秋田県・金浦町)を想い出しました。
静かなまま寂れた町でしたが、人生の折返し地点を過ぎた自分自身を
振り返るには、もっとも適した佇まいだったかもしれません。
冷おろし
2017/03/30 16:20
冷おろしさん、こんにちは。
桜楽しみですよね〜。うまくすれば、花祭りのあたりが満開になるかな。

吉田健一は八高線で来たということなので、うちの前も通っただろうと思います。
私は一刻も早くこの土地を出ることしか頭になかったのですが、地球一周りして帰って来て、よくも悪くもいろいろなものが蒸発してしまった後、ただ風が吹き抜けているような感じがしています。ここが終の棲家になるのかはわかりませんが、今は田舎暮らしを味わっています。

しかし故郷(ふるさと)というのは、思い出す時、どうしていつも遠景なのでしょうね。
カラビ
2017/03/30 19:51

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