異形のものたち-[オフェーリア] ジョン エヴァレット ミレー

 
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 三元日も過ぎたことだし、そろそろ縁起でもないとされる言葉を使うことお許し下され。そうしないと、特にこの絵に関しては書けない。
 もしかしたら、生まれてはじめて心惹かれたのを記憶している絵かも知れない。確か小学校へ上がる前である。百科事典に載っていた小さい口絵だった。そのページが開かれたのは、ジャン=フランソワ ミレーの絵を探していた時だった。子供文庫のミレー伝記に、彼の傑作が「落穂拾い」という絵であると書かれていたので、どんな絵か見たかった。母親が百科辞典になら出ているかも知れないと調べたのだが、果たして「落穂拾い」が載っていたかどうかは記憶にない。私の目は、同じミレーという名のもう一人の画家の絵にひきつけられていた。
 深い森のどこか、澄み切った水に浮かぶ若い女性。水藻のようにゆらめく髪と、水面に散らばる色とりどりの花。何がそんなに幼い自分を魅了したのかわからない。
 画題は記憶していなかった。ずっと後になってこの絵と再会し、子供の時、何度も百科辞典のあのページを開いたことを思い出した。「オフェーリア」とはなんという蠱惑的な響きであっただろう。それがシェークスピアの劇に登場する人物だと知ったのは、更に後だった。
 すべてをなげうって愛した男に見離され、心を失い、もはやこの世のものを映さぬ目でみる夢の中で花を摘み、流れにさらわれて溺れ死んだオフェーリア。自分が水底に沈むのもわからず、夢見るまま死にゆく狂女。恋に破れて気が狂ったのは、別に彼女一人ではないけれど...。*精神と肉体の完全放棄。

 現実的にいくなら、これは土座衛門(水死体)の絵と考える方が妥当であろう。いくら狂人でも、命の危険が迫れば必死でもがくはずだ。いや、狂人ならば尚、獣のように叫び、のたうつのではないか。終始夢見るように溺れるなどありえるのか。この絵のように、恍惚とした面持ちでいるとしたら、それは呼吸が停止した後、つまり死体となった人体と考える方が納得がいくのでは?と、こういう理屈を言い出したら、絵画鑑賞の醍醐味は失われます。現実的であることが常に万能ではないのだ。野暮はやめよう。
 メタフィジカルに解釈するため、*印の「精神と肉体の完全放棄」に戻りたい。この絵の中の空気も水も、異様なまでに澄み切っている。樹木、草の緑は冴え、自然の最も深いところを垣間見ている感じを受ける。水に浮かぶ女性は、この純度の高い自然の中で精神と肉体の完全放棄をしたのではないだろうか。描かれているのは死にゆく人間だが、この死はいわば自然回帰なのだろうと私は思う。

 一説によると「オフェーリア」のモデルになった女性は、画家の寒いアパートで何時間も浴槽に浸かったため肺炎になったとかなんとか。
 所蔵はロンドンのテート ギャラリーである。本物が見たい。この絵に関して本物が見たい理由は、どうもオフェーリアの手元に浮かぶ赤い花の色が飛んでいるようで気になるからである。この赤だけピュアな自然の中でちょいと人工的に見えるのだ。実物では画面にしっくり溶け込んでいるのか、それともやっぱり玉に瑕の赤なのかどうか。(また、エラそう)

 ラファエル前派の作風に漏れず、「オフェーリア」もひたすら美しい。だがその美しさの中に、ふと異形の片鱗ともいうべきものがある。美しいのだ。美しいにはちがいないのだが。
 美しさを追求していった果てに、ある種のグロテスクが潜むのをどうしようもなく感じる、というものが、どうも私は好きなのだな。

この記事へのコメント

2007年01月08日 18:52
カーラビンカさん、こんばんは。
「オフェーリア」は、1998年に東京でテート・ギャラリー展が開催されたときに実物を見ました。やはりこの絵の周りには人だかりがしていてみるのに苦労したのをおぼえています。懐かしい思い出です。カーラビンカさんの文章に刺激されて、早速図録を引っ張り出してきて眺めています。図録によれば、やはりモデルの女性は風邪をひいてしまったようで、その父親から「治療費を払え!」と脅されたりしているみたいですね。
カラび
2007年01月09日 11:34
>Shushiさん
こんばんは。Shushiは実物をご覧になりましたか。いいですね。
モデルの女性、ラファエル前派の画家の妻になった人だったと聞いた記憶もあります。
写実的な描写と夢想的な雰囲気が見事に融和した絵だと思います。
2007年01月17日 09:54
エヴァレット・ミレーのこの作品は、私も長いこと心魅かれていた絵でした。
「精神と肉体の完全放棄」。
カーラビンカさんのこの言葉で、その魅力の全てが言い表されたような気がいたします。
「生」が「死」に取り込まれる甘美な瞬間。オフィーリアにとっての「死」はもはや「生」と同義語なのでしょう。
さざ波の気配さえない冷たく静まり返った水面も、鮮やかに描かれた植物たちも、息を潜めて彼女の生と死の終焉に同化していくようです。

 かすかに、彼女が歌う声が聞こえるような気がしてしまうのは私だけでしょうか?全てを放棄したオフィーリアに唯一残されたもの。
肉体からも、精神からも逸脱した彼女の歌声はセイレーンの呼び声にも似て、私を惑わします。
カラビ
2007年01月17日 12:17
>aostaさん
>セイレーン
おお!これもギリシャ神話好きの私としましては、常々惹かれる異形のものであります。
>さざ波の気配さえない冷たく静まり返った水面も、鮮やかに描かれた植物たち
子供の頃にこの絵を見た時、自分もこんな清らかな場所で、澄んだ水に体をあずけ切ってみたいという憬れがあったような気がします。
思い描くストーリーは様々ですが、やはりこの絵のファンは多いようですね。
いずみ
2019年03月18日 22:22
多分1975年頃札幌の三越かマルイの
「特設会場」で拝見しました。当時函館在住だった私は、その絵を見るために五時間汽車に揺られた事を思い出します。画面全体が「濡れた」空気に覆われていました。
妙に水々しい美しい絵でした。
カラビ
2019年04月22日 20:46
「オフェーリア」日本にも来ていたのですね。このモデルになった女性は、真冬にバスタフに浸かってポーズをとっていたため、肺炎になってしまったとか。なんとか助かったようですが、まさに命がけの傑作ですね。

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