Blessed Rain

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  いつも同じような不手際を起こす。注意散漫、記憶の漏れなど。これってADHDという発達障害の一種なんじゃないか。最近、そう思った。
 10年以上前に、子供のADHDというのを知った。不注意、多動症、衝動性などの特徴がある。とにかくじっとしていられない、落ち着きがない、ルールを守れない、忘れものが多い、不注意 etc、私、まったくそれだったじゃん。きっと自分はADHDだったんだなと思った。大人になって、さすがに子供の頃のような多動はなくなったから適応できるようになったのだと思っていた。だけど、自分の今までをふり返ると、仕事の上で不注意ミスやもの忘れを繰り返したり、いわゆるマルチタスクがひどく苦手で、普通の人が理解してできることに手間取ったり、そういうことが多かった。思ったことをすぐ口にする(空気読めない、というやつ)、周りを気遣わない、それらも大人のADHDに当てはまる特徴らしい。

 本当の自分を知らなければ、本当の始まりもない。

 専門のクリニックで、ADHD診断テストを受けることにした。そうであったとしても、別にショックは受けないだろう。子供の頃の行動からして、多分そうだとずっと前から思っていたから。
「最近ADHDって人は多いよ。特に30代、40代。いい大学出たのに、仕事でみんなができる簡単なことができなくて、何でそんな間違いばかりしているんだ、となじられて、心が折れてしまうとかね」
 〇X式のテストをやった。結果は、限りなく黒に近いグレーゾーン。ほぼ大人のADHDと考えてよい。
「ADHDが障害かっていう議論もあるけどね。私もADHDに分類されるといえばそうだし。あまり生活に支障をきたすようなら薬を飲む方法もあるけど、別にそうでもないんでしょ?だったら様子みて、本当に必要だと思ったらまた来て」
 とてもフランクな医師だった。仕事が適性に合えばすごいパフォーマンスできる人が多い、なるべくそういう仕事環境を整えるようにすればいい、坂本龍馬もそうだったと言われるが、ADHDの人は行動力がある人が多い、それは強みだ、と言われた。確かに、私も注意散漫な反面、ものによっては過集中する。一つに特化する類の仕事は、上手くできていたことが多い。「見る前に跳べ」的に、思い切って日本を出たりもした。
 どこか、生きづらさを感じてきた。それは自分のせいじゃなかったのかも。サボってたわけでも、不真面目にやってたわけでもない。ただ、世の中の多数の人と脳の指令の働きが多少違っていたのだ。


 介護ホームにいる母に会いに行った。
「お母さん。私、子供の頃、じっとしてられない、落ち着きのない騒がしい子供だったでしょ。あれはどうも、脳の働きが他と違って、勝手にそうなっちゃってたみたいなんだ。変えようと思っても、変えられるものじゃないみたいで」
 理解してもらえるかわからないけど、なるべく簡単に言ってみた。もう自分では寝返りをうつこともできない母は、わずかに頷いて聞いていた。
「変わらないなら、しようがないじゃない」
 いつも不機嫌そうに見えるのに、珍しく穏やかな表情をしていた。
「大丈夫かなぁ、私」
 周りに自分の弱さを見せることは滅多にない私だが、最近いろいろあってふと気弱になったのだろう。
「大丈夫だよ」
 母は即答した。
「どうして大丈夫だと思う?」
「どうしてって、そう思うから」
 元気だった頃の、サバサバした口調だった。一日中ベッドで点滴を受ける母の、グローブのような手袋に覆われた手に、私はこわごわ触れてみた。すっかり細くなってしまった指がある。
「自分がそういう風にできてるってわかった方が、いいんだろうな」
 独り言のつもりだったが、母には聞こえたようだ。
「わかったなら、ケーキでも買えば?」
 私は笑ってしまった。
「なんでケーキなの?」
「お祝いで。おめでたいじゃない、わかって」
 私の言ったことを、母が正しく理解していたかどうかはわからない。ただ、その言葉は直球で私を励ましてくれるものだった。
「そうだね。変えられないなら、しようがないからね」
 窓から、隣の建物のコンクリの壁に大きな雨のしみができているのが見えた。きつく結んだ唇を、痛くなるまで噛んだ。
「それも個性だと思えばいいじゃない」
 私は驚いて母を見た。それは、私が一番誰かに言って欲しかった言葉だった。母は今まで見たこともないような穏やかな顔をしていた。私は信じられないプレゼントをもらい、とまどってしまったかのように母から目を逸らした。窓の外、さっきあったはずの隣の建物の壁の雨のしみが見つからなかった。視覚も記憶も、そうあてになるとは限らないらしい。
「ありがとう、お母さん。また来るね」
 それだけ言って、私は病室を出た。
 駐車場の真ん中に停めた車にたどり着くまで、痛いほど雨がぶつかってきた。エンジンをかけ、ぼやけ切ったフロントガラスをワイパーではらう。狭い路地を抜け県道に出た時、車に叩きつける雨の振動が賑々しく伝わってきた。急に母が恋しくなった。はじめて、このままの自分が母から受け入れられたと感じた。もしかしたら、母はとうに受け入れていたのかも知れないが、私がそう感じたのははじめてだった。すっかり細くなってしまった母を、こわごわ、でも抱擁したくなった。私達は、こういうかたちで祝福されていたのかも知れない。厭わしいと思っていた一連の出来事も、この祝福につづいていたのなら...
 上越線を見下ろす高架橋を走る車の流れにのった頃、雨は勢いを増した。最速のワイパーではらっても、フロントガラスは瞬時にぼやけた。銀色にはれぼったい夏至の空が、なりふりかまわず泣いていた。



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