夏と一緒に往った人

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  九月一日未明、母が永眠した。通夜も、葬儀でも、私は泣かなかった。母はここ数年 寝たきりになり、病院のベッドに両腕を縛り付けられた状態だった。本人は勿論嫌がっていたし、見る方も辛かった。だから本当を言うと、これでやっと自由になれたね、よかった、という気持ちの方が、悲しさよりずっと大きかったのだ。安らかに息を引き取ったと、担当医から聞いた。微かにぬくもりが残っていた顔は、はっとするほど綺麗だった。いつも深く刻まれていた眉間の皺も、うっすら和らいでいた。
 葬儀が終わった後、空が雷をともなう激しい雨とカンカン照りの真っ二つに分かれた。喜怒哀楽のはっきりしていた誰かさんみたいだ。


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 珍しい乳房雲もあらわれた。


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 虹もまた、カラフルなのが好きだった母らしい。遠雷が聞こえていた。


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 夕暮れは薔薇色の雲で飾られた。母の大好きな色だ。やっと、磐梯山が、飯盛山が、鶴ヶ城が見えたのではないですか。貴女の故郷 会津若松は、子供時分の私の「夏」でした。
 九月の暁が空を染める前に、よみ路へ旅立ったわが母。ニューヨークにいた時、もし今逝かれたら、絶対しばらくの間は立ち直れないだろう、と思っていた。その後、私は帰国し実家に戻り、こうして静かに別れを受け入れる時間を与えてもらえて、感謝している。
 母との関係の中において、後悔していることがないわけじゃない。でも、後悔するのはそこに愛があったからだ、という誰かの言葉に救われてもいる。たくさんの幸福な想い出にも、ありがとう。秋風は、ちょっぴり寂しいけれどね。

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